本書(1933年発表)はディクスン・カーの6番目の長編。二人のエラリー・クイーンより1年遅れて米国に生まれた作者は、クイーンに1年遅れて「夜歩く」でデビューする。最初のレギュラー探偵はフランスの予審判事アンリ・バンコランだったが、本書でギデオン・フェル博士が登場する。
カーター・ディクスン名義の探偵ヘンリー・メリヴェール卿と双璧をなす人物で、どちらも100kgを越える巨漢である。博士の専門は何なのか、よくわからない。本書には辞書編纂家とあるから、国文学なのだろうと推定するだけだ。ロンドンの北200km弱のリンカーンシャー州チャターハムに住んでいる。ビールばかり呑んでいて、2本の杖に依らないと歩くのがつらそうだ。ケガかというとそうではなく、単にビール太り。
物語は、米国人青年タッド・ランポールが英国に遊学するにあたり、研究室の教授からフェル博士を訪ねるよう言われてチャターハムにやってくるところから始まる。この町にはかつては監獄があり、その跡地には「魔女の隠れ家」という古井戸がある。魔女と疑われた人を含め、そこでは多くの絞首刑が執行された。また監獄内でコレラが蔓延し、その死者が大勢放り込まれた井戸でもある。
代々その監獄の長官を務めたスタバース家は今も井戸を含む監獄跡を所有している。後継ぎが25歳になると長官室にある金庫を開けて、スタバース家に伝わる秘密の文書を読む習わしになっている。そこに何が書かれているかは、他言が禁じられている。一方歴代の当主は首を折って死ぬとも言われ、先代も2年前に大けがを負って死亡している。タッド君はフエル博士の家に滞在中、偶然知り合ったスタバース家の娘と付き合い始めるのだが、その兄が25歳になった夜殺害された事件に巻き込まれる。
作者得意のおどろおどろしい雰囲気の中での不可能犯罪なのだが、作者自身の英国観が出ている。自然が豊かで人間関係が濃密、市民が超自然なものに理解を示すことを米国と違って面白いとタッド君がいう。米国の合理性は、作者自身も肌が合わなかったようだ。合理性・論理性を尊び、ニューヨークやライツヴィルを舞台にし続けたクイーンとはそこが違う。
歴史や超自然が大好きで、作者は英国に移って作家活動を続けた。本書の中でフェル博士がタッド君にいう。「ここはイギリスだ、イギリスはこうなんだ」と。青年作家カーの英国愛を感じさせる一冊でした。