新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

出版部長宮脇俊三

 1960年、著者の鮎川哲也日本推理作家協会賞を「憎悪の化石」と「黒い白鳥」の2作品をもって受賞した。いずれも本格推理の結晶のような作品で、選者11名中9名が推薦するという圧勝だったという。その受賞式のパーティでのことだろうが、作者は初対面の出版社の出版部長から書下ろし長編の執筆を依頼される。

 

 「遅筆ゆえすぐには書けないが」としながらも、作者はこれを引き受けた。この時かの出版部長が出した条件は、この出版社が未経験の本格ミステリーである以上に何があったかは明らかにされていない。その時の約束が3年後に出版の運びとなったのが本書である。

 

 鳥取砂丘で殺されていたのは、宍道湖沿いの町に住む独身の30歳代後半の女教師。彼女と連れ立って砂丘に出掛け一人で帰った40歳過ぎの男が容疑者である。鳥取県警は地道な捜査で被害者の過去を洗い、東京に住む洋画家が捜査線上に浮かぶ。しかし犯人が鳥取まで乗ってきたと思われる急行「出雲」が東京駅を発車するとき、容疑者は八重洲のバーで飲んでいたというアリバイがあった。

 

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 当時は、東海道新幹線すら開通していない。特急はもちろん急行列車すら極めて少なく、鳥取駅1451着のためには、前夜2230に東京駅を出る「出雲」に乗らなくてはいけない。航空路もあるのだが、当日の乗客は3~7名/機でみんな身元が割れてしまう。その後、京都のバーのホステスが殺される事件が起きるのだが、ここでも容疑者の画家の名前が浮かびながら、捜査陣はアリバイに阻まれる。迷宮入りかと思われたのだが、事件は捜査一課の名探偵鬼貫警部の担当することになり、曙光が見えてくる。

 

 第二の事件の、鞄・鍵・週刊誌をつかったアリバイはさほどでもないのだが、急行「出雲」にからむ方は実に面白い。なにより昭和30年代の時刻表が数ページ転載されていて、それを見ているだけでも楽しい。当時の駅弁はおおむね100円、してみると物価は今までに10倍になったことになる。

 

 津村秀介のアリバイ崩しの先輩格にあたるトリックは、列車の数が極端に少ないのでシンプルである。ひねた読者なら見破りそうなのだが、懐かしさの方が先に立ってしまった。ちなみに本書を依頼した中央公論社の当時の出版部長とは、後年「時刻表20,000キロ」を著す宮脇俊三だった、してみると執筆の条件は「列車もの」だったのでしょうね。間違いなく・・・。