本書の作者、J・C・S・スミスは覆面作家である。高名なノンフィクション作家が身元を隠して書いたのが本書(1984年発表)だ。格式高い著述家が、本当はミステリー好きでミステリーを書きたいのだが「先生ほどの人が下世話なものを・・・」と非難されるのが嫌だったのかもしれない。過去には美術評論家でその方面の著作も多いW・H・ライトという人が、別名で12編の長編ミステリーを書いたこともある。ミステリー1冊の売り上げは、それまでの幾多の著作の合計より多かったという。
そんなわけで初めて読む作者だが、その正体は不明のままページをめくり始めた。舞台は8月のマンハッタン、じっとしていても汗の噴き出る季節で、たいていの市民は休暇で島を離れている。ブロンクスの北の端に住む引退した「Transit Police(地下鉄などの警備に当たる警官)」であるジャコビーは、親友グロリアから高層ビル最上階のレストランの夜警を頼まれる。グロリアの経営する警備会社で、対応できるスタッフがいなかったのが原因。
そのレストラン「ピナクル・ルーム」は、オーナーのロンバルディが手腕を振るう高級イタリアン。人気は上々なのだが、設備や食材が頻繁に紛失する問題を抱えていた。ジャコビーが夜警の任に就いた最初の夜、料理用の焼き串でオーナーが刺殺されるという事件が起きた。エレベーターは監視され入り口は閉鎖されたレストランには、2人の従業員とジャコビーだけが残っていた。警察は3人を重要容疑者とみて捜査を始める。ジャコビーも、自らの潔白を示すために独自の調査を開始する。
地下鉄を30年も職場にしていたジャコビーは、その事情に詳しい。どの路線が混むか、どの路線に犯罪が多いか、観光客はどこへ行きたがるかなど、マンハッタンとその周辺を聞き込みに歩く途中でジャコビーの独白は一種の観光案内にもなっている。レストランがある「摩天楼」は、9・11で倒壊したWTCに匹敵する建物。お遊びとして、スパイダーマンの扮装をした男も登場する。
作中、10年後の香港返還を前に、特に中国系の金融業界がマンハッタンの不動産を買い漁っているとの話も出てくる。僕の直感では、覆面作家の本業は国際金融ではなかろうか?それはさておき、なかなか骨太のミステリーでした。マンハッタンの紹介も面白かったですしね。ただ旅行で行く機会は当面ないでしょうね・・・残念。