深谷忠記の「壮&美緒」シリーズは、トラベルミステリーとしては他の作者よりも叙情性で優れていると以前紹介した。また1箇所だけではなく複数の現場で事件が起きるので、「xx~xx殺人ライン」などと題して複数の風光明媚な場所を紹介してくれることもある。本書は「東京~札幌」となっているが、一番詳しく書かれているのは函館である。
津村秀介の作品はほとんどが公共交通機関、特に列車に絡んでくるので車窓からの風景を中心に情景描写がある。しかし深谷忠記の作品では、レンタカーなど自家用車を使う場面が多い。アリバイ崩しにしても「xxインターからxxインターまで、何時間は最低掛かる」という議論が多い。
本書では、落合という函館港湾署の若手刑事が大きな役割を担う。彼は伊達市にいる妻子と仕事の関係で別居していて、かつ江差で漁師をしている両親のところにも車で出かけている。冒頭伊達市から函館に帰る途中、昭和新山や洞爺湖、駒ケ岳、大沼を抜けてJR五稜郭駅付近から五稜郭タワーを見て市街に入ってくるシーンがある。このあたりの自然は、僕も訪れたことがあって本当に美しいと思う。
落合が捜査を担当することになったのは、函館の赤レンガ倉庫街付近の海に浮かんでいた水死体の事件。水産加工会社の50歳代後半の社長が、スタンガンで意識を失わせられて海に放り込まれたものだ。社長には遺産相続でもめている実兄がいて、札幌在住の兄は事件当日弟に会うために函館に来てホテルに宿泊していた。
落合らは実兄を尋問するのだが、疑わしいとは思いながら決め手がなく札幌に帰した。ところがその実兄こそは東京の女子大の教授だった人物で、美緒の父親の友人であり美緒の恩師でもあったのだ。兄弟の父親はさきごろ90歳代前半で死亡、公正遺言証書が残されていたが、これが兄弟のもめごとの引き金だった。
恩師に疑いがかかったことから、美緒は壮を引っ張り出して事件に介入する。その後公正遺言証書作成に関わった弁護士がやはりスタンガンで襲われて殺されるなど事件の闇は深まっていく。
名探偵黒江壮の出番はあまりなく、北海道警の刑事たちの粘りが目立つ。後半に壮の「連続する事件とスタンガンの関係」に関する推理が披露されるが、ちょっと冗長だ。このテーマはレギュラー名探偵ではなく、単発もので書いた方が良かったのではないかと思います。