新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

ミステリー作家の楽屋裏

 先日ミステリー界の「当代一の読み手」と紹介した佐野洋の「同名異人の4人が死んだ」の評に、推理作家って大変なんだと書いた。犯罪を扱うものだけに、万一にも現実の何かを想起させてはいけない。特に人名の扱いには、慎重の上にも慎重をとのスタンスがにじみ出ていた。

 

 本書は、佐野先生のスタンスとはちょっと違った「推理作家の苦悩」を著したもの。少し時代が新しくなると、苦悩の質も変化してくるということかもしれない。著者は「天才物理学者湯川学シリーズ」でおなじみの流行作家、東野圭吾。彼が恐らくは自己にも襲い掛かった最近の難題を、楽屋落ち的に短編小説集に仕立てたものだ。

 

        f:id:nicky-akira:20200323152405j:plain

 

 彼が本書で言いたかったことは、

 

・急に売れ出した時の税金問題、なんとか経費分を増やせないかと悪戦苦闘する話。

量子力学、生物学、医学、宇宙物理学、遺伝子工学などの先端技術を並べ立てる話。

・執筆方法の秘密と新作長編を多くの出版社にしてしまった後始末。

・読者も高齢化しているから続いているが、本当はボケ始めた作者と編集者の話。

・連続殺人事件の連載に合わせてそっくりな事件を起こそうとするヤカラの話

・とにかく2,000枚以上でないと出版もしてもらえない、「大長編」ブームの影。

・作品を読んで書評してくれたり、いい書評のためのアドバイスをする機械の話。

 

 を通じて、「今の日本のミステリー業界、歪んでいませんか?」ということだと思う。ミステリー界に限らず「本」を読む層はどんどん高齢化していて、「日経コンピュータ」読者の平均年齢は70歳代後半とも聞いた。だから同じような話を繰り返す90歳越えの作家でも売れる、そうでないと売れないというのはある程度事実だろう。

 

 「xx渾身の2,000枚」との帯が躍るのも、手書きからワープロ、さらにAI機能付きのPCとなれば長くなるのは当たり前だ。出版社も「重ければいい」とのスタンスらしい。最後の書評をする機械は、SF話ではない。現実に可能になりつつあるし、その書評を良くするために原稿をどう変えたらいいかのアドバイスも同じように可能だ。囲碁の世界でAI(人工知能)がAI同士で勝手に対戦して強くなっている時代だから、十分ご理解いただけると思う。

 

 作者の「危機感」みたいなものは良くわかりましたが、それでは業界はどうしたらいいのでしょうかね?