新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

親父が産まれた年の東京市

 親父は1927年(昭和2年)の今日産まれた。その頃僕が通っているオフィス(丸の内・青山)あたりはどうなっていたのだろうか?良く通う霞ヶ関や大手町には何があったのだろうか?そんな思いで、いつの事だったか覚えていないが買ったのがこの「古地図」である。

 

 まず目につくのは「宮城」、これだけは絶対に動いていまい。東京駅もそうだから、その間の「御成通り」は現状のままだ。もちろん当時は地下街(時々フリマなどしている)は無かったろう。地図には「丸ビル」があるが、これは現在は建て替えられている。丸の内北口から大手町にかけては、今は民間ばかりだが当時は官庁街。今のパレスホテルなどは憲兵隊本部である。八重洲の「大丸ビル」は、当時は鉄道省(今のJR)である。また丸の内北口さらに北のエリアは商工省(経産省)、逓信省総務省)、農林省だ。去年建て替えられた「Otemachi-One」は内勢省、経団連会館は文部省に見える。

 

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 霞ヶ関方面に目を転じると、外務省と司法省(今の名前は法務省)は動いていない。外務省の向かい、現在の経産省の位置には・・・おー海軍省だ。青山のオフィス近くにある公園は、第一師団本部だとある。宮城の周りを官庁や軍隊が取り囲んでいるのがわかる。こんな配置状況で「2・26事件」は起きたのだろうと、ちょっと感慨に浸っていた。

 

 吹上御所の外側、五番町には英国大使館がある。今の地下鉄半蔵門駅に近いところで、多少狭くなったかもしれないが今も英国大使館はここにある。エリザベス女王も、戦前・戦後ともここを訪れたのかもしれない。

 

 もっと南を見ると、慶應大学って昔からここにあったのかと気づく。西はと言うと一時期住んでいた中目黒など、私鉄の駅はあるものの行政区分は「豊多摩郡目黒村」である。目黒川の下流五反田駅の周辺には、田園の記号が見られる。このあたりは、すでに東京市の外のようだ。

 

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 もう一つ嬉しかったのが、今年から通うようになった「北仲ノット」のコンドミニアムの場所を含む横浜港の地図が付属していたこと。新湊町は今はずいぶん拡張されて、赤レンガ倉庫街や横浜ワールドポーターズが人出を集めている。当時から「馬車道」はメインストリートだったのねと認識できた。

 

 ずっと仕舞い忘れていた古地図ですが、折に触れて見直してみるのもいいですね。