新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

ジャーナリズムを鍛えるもの

 本書の冒頭、「戦争を戦争として承認する役割を担っているのはジャーナリズムだ」とある。1991年の湾岸戦争後、イラク周辺では戦闘が続いていた。しかし2002年に(子)ブッシュ政権サダム・フセインの息の根を止める決意をして再度侵攻するまでの間、そこは「休戦中」だと言われていた。

 

 英米軍による空襲は続いていたし、隣国アフガニスタンではオサマ・ビン・ラディン狩りも行われていた。それでもその期間は「戦闘はあっても戦争ではなかった」のだ。ではいつ戦争になったのかというと、英米系のメディアがそう認めた時からだというのが、その主張の論拠である。

 

 古来、メディアと戦争は不可分なものだ。日本の場合も盛んに民衆のナショナリズムをあおり、軍部に15年にも及ぶ日中戦争をやらせた某メディアは、戦後になって突然「平和のメディア」になって自民党政権の保守路線に対峙するようになる。

 

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 本書で知ったのは、今「Go To」等の受託で話題の「電通」が誕生した時は、共同通信時事通信と同じ会社だったということ。1906年に設立された「日本電報通信社」がルーツで、のちに広告部門を切り出したものだと本書にある。なるほど、だから桜井元総務事務次官が副社長をしていて、官邸とも近いのかと納得した。

 

 本書(2003年発表)は第二次世界大戦以前からの戦争とジャーナリズムの関係について、ヴェトナム戦争・湾岸危機からアフガニスタン侵攻までを例にとって説明している。例えばボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では広告代理店がどのような戦争指導をしたかや、「地獄の黙示録」という映画がなぜ作られたのかなどが赤裸々に語られる。

 

 日本人のジャーナリストについても、岡村昭彦・開高健田中宇らの活動が記載されている。田中氏については、徴用工問題について韓国人にインタビューをして、「当時半島で1年働くのと同じ収入が、日本だと1ヵ月で得られた」と彼らが日本で過ごした時代を懐かしんでいるさまを伝えた。

 

 本書の最後にインターネットがジャーナリストの手法に大きな変化を与え、情報発信をするのがプロのジャーナリストだけではなくなったことを取り上げている。この結果、プロはどうやってアマチュアと差別化するか悩むようになった。今にして思うと、すでに情報発信の99%以上は「素人」がしている。これからのジャーナリズムはいかにあるべきか、考えさせられる書でした。