新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

どこか令和に似た時代

 大正時代というと、15年と短かったこともあり、華々しい明治と激動の昭和に挟まれて、あまり目立たない時代である。本書は歴史人口学の視点から、2人の研究者が大正時代を分析したものだ。歴史人口学(デモグラフィ)だから、拠って立つのは「人口動態」。特殊出生率や死亡率から、市部と郡部の差、所得階層、疫病や災害にまで話が及ぶ。

 

 まず大正時代、日本の近代化は着実に進んでいて、

 

・農業国から工業国への転換、大正期に工業規模が2倍以上に増えた

・広がる鉄道網、国鉄・私鉄で20,000kmに達した

・電力需要の増大、1戸に複数の電灯が点くようになった

・教育水準の向上、中学進学者が2倍になった

 

 のだが、第一次世界大戦のもたらす好景気は、庶民には届いていない。大半は「成金」などの富裕層を潤し、格差が拡大した。この時代も「トリクルダウン」は起きていなかったのだ。

 

 疫病も流行した。一つには肺結核、織物工場で働く「女工」たちは、粉塵の多い環境・共同生活で結核を発症したり、帰郷してからも病気を広めた。ちなみに「女工哀史」のイメージで低賃金だったと思われがちだが、女工の平均月収は50円ほど、男性工員の倍はあったらしい。

 

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 もう一つはスペイン風邪。実質的に第一次世界大戦を終わらせたとも言われるこの疫病は、世界人口20億人のうち10億人が感染、3%ほどの死亡率で3,000万人が死んだと推測(正確な統計値は存在しない)される。日本でも1918~20年にかけて三回の流行があり、2,380万人余りが罹患、死亡者は39万人近く、死亡率は1.7%ほどだった。

 

 加えて関東大震災という災害もあった。1923年、マグネチュード7.9の烈震が首都圏を襲い、死者・行方不明者14.3万人。東京市は人口最多の市だったが、以降10年間大阪市にその座を譲ることになる。

 

 1920年には最初の国勢調査があり、5年後にも実施された。これで人口動態なども比較的正確に捉えられるようになっていた。それにしても当時の特殊出生率は高い。全国平均で5.0に近く、一番低い東京府大阪府の市部でも3.5はあった。

 

 閉塞感・疫病・災害・格差とどこか令和に似た時代でしたが、子だくさんだったことだけは違いますね。