本書は2010年のほぼ1年間「週刊文春」に連載された、東野圭吾の「湯川学もの」の長編。2011年に単行本化されている。僕は湯川准教授のキャラクターはとても好きなのだが、小説そのものはもう少し工夫の余地があるのではないかと思っている。これだけの天才的名探偵なのだから、もっと凶悪で知恵の回る犯罪者を登場させてもいいのではないかと思っているのだ。
これは作者の作品すべてに言えることで「凶悪な犯罪」というよりは、偶然罪を犯してしまった事件が多い。このタイプの犯罪と怜悧な名探偵の相性は、決していいとは言えないだろう。本書も映画化もされたし、その評価も高いのだが、この物語ならもっと平凡な探偵役で十分務まると思う。湯川准教授の役割を、草薙刑事(&内海刑事)が担当するスピンオフシリーズでも良かったように思う。
湘南の方らしい玻璃ヶ浦(映画では西伊豆をロケ地にした)の海で、海底熱水鉱床の開発計画が持ち上がり、推進派と自然保護を訴える反対派が対立している。確かに美しい海なのだが、他に観光資源も産業もなく町は衰退する一途である。ひなびた旅館「緑岩荘」の一人娘成実は、熱烈な自然保護活動家である。
町では鉱床開発を研究している(多分)独法が説明会&現地見学会を企画、説明会の有識者として湯川も招かれている。往路の列車で成実の従兄弟で小学生の恭平と知り合った湯川は、独法が手配した高級ホテルをキャンセルして、恭平と一緒に「緑岩荘」に投宿する。宿にはもう一人の男だけが宿泊していた。
最初の夜、その男が失踪、翌日岸壁からの転落死体で見つかる。この人物は、引退した元捜査一課の鬼刑事だった。現地の警察は岸壁から足を踏み外した事故と考えるのだが、被害者の部下だった警視庁の管理官は、草薙たちに独自捜査を命じる。
事件の本筋ではないのだが、湯川の開発か自然保護かで揺れる議論への冷めたスタンスが面白い。
・完璧な自然保護など出来るはずもない。
・海って人間が守ってやらないといけないくらい脆弱か?
と保護派をたしなめる一方、推進派にも、
・できないことはできないというべきだ。あいまいにしてはいけない。
とお灸をすえる。要は「経済と自然保護のバランス」だということ。それを誠実に、黒霧島のロックを呑みながら諭すシーンが印象深かった。面白いところはあったのですが、事件自身はもうひとつでした。