新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

麻薬と宗教に溺れる娘

 本書(1929年発表)は、ハードボイルド小説の創始者と言われるダシール・ハメットの第二作。デビュー作「血の収穫」同様、コンチネンタル探偵社の名無しの探偵(オプ)が主人公だが、デビュー作に登場した探偵とは体格も性格も違っているように思う。加えて本書は半世紀ぶりの新訳で、ハメット研究で名高い小鷹信光氏の翻訳であって日本語のトーンも異なる。デビュー作では「おれ」と言っていた探偵が、本書では「私」となっていて紳士ぶりを示すこともある。

 

 ただハメット流の「事件が次々に起きて、血が流れる」ことには変わりはなく、ある書評では「ハメットの探偵は一人を刺し殺し、もう一人を射殺、彼自身も短刀・拳銃・クロロフォルム・爆弾で襲われながら、誘拐・宝石強盗・複数の殺人の犯人と渡り合い、一人の麻薬中毒の娘を救う」としている。解説によると、ハメットを非難したつもりのこの書評は、かえって宣伝文句になったということだ。

 

 本書のあらすじは上記の書評で尽きているのだが、探偵が最初に受けた依頼は、ガラスの着色を研究している科学者が預かった宝石が盗まれたというもの。品質の悪いダイヤなのでさほど高価ではないが、保険会社はコンチネンタル探偵社に宝石の奪還や犯行組織の訴追を依頼したのだ。ところがその現場近くで、最初の犠牲者が出る。被害者は個人探偵で、ヨーロッパからやってきた「デイン家」のものを追跡していたらしい。

 

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 盗難被害に遭った科学者の娘ゲイブリエルは、20歳そこそこで美人なのだが病的。探偵が見るところ麻薬中毒で、怪しげな宗教に入れ込んでいる。科学者とその妻、ゲイブリエルの婚約者、主治医、宗教家夫妻、その使用人の誰もが怪しい。ゲイブリエルが婚約者と駆け落ちした先の村では、村の住人だけでなく官憲すら怪しげな動きをする。

 

 そんな中真相を知ろうとする探偵の前には、上記の危機も来れば死体も転がる。翻訳者の力量だろうか、文章は読みやすくストーリーはピッチ良く進んでいく。最後には「意外な黒幕」も出てくるのだが、何しろ登場人物の大半が死んでしまうので「犯人あて」は難しくない。それよりも終盤、麻薬中毒の娘にモルヒネを絶たせて更生させるプロセスはリアルである。

 

 とても第二次世界大戦前とは思えない、生々しいミステリーでした。やたらと血が流れなくても、この生々しさがあれば立派なハードボイルドなのでしょうね。