第一次世界大戦で敗戦国となり、多くの「枷」を掛けられたドイツだが、1930年代に奇跡とも思える復活を遂げる。政治的統一・産業振興・軍備の拡張のいずれもが、上手くいっているように見えた。その中の一つに、航空機産業がある。日本も含めて各国が航空機の戦力化を急ぐ中、ドイツの航空機産業は他国に比べて順調に発展していた。その時代、ドイツには業界を代表する設計者がいた。そのうちの3人を、開発した航空機と共に紹介したのが本書である。その3人とは、
◆エルンスト・ハインケル
1888年生まれ、シュトゥットガルト高等技術学校に学び、ツェッペリン飛行船の火災事故を受けて航空機技術者を目指す。第一次世界大戦中に、アルバトロス社やブランデンブルク社で軍用機の設計にあたる。戦後しばらくドイツでは航空機産業が規制されていたが、これが解けた後ハインケル社を設立して、航空機ビジネスに乗り出した。多様な機種をロールアウトし複葉戦闘機He52はスペイン内戦でも活躍した。しかし戦闘機のコンペではHe112がBf109に敗れ、夜間戦闘機He219ウーフーなどを世に出すに留まった。
◆ヴィルヘルム・メッサーシュミット
1898年生まれ、ボーデン湖畔のフリ-ドリヒスハーフェンでツェッペリン飛行船を見て航空機に魅入られ、ミュンヘン高等技術学校に学ぶ。BFM社の設計者として4人乗りのBf108の設計で注目され、次の単座戦闘機Bf109が空軍に正式採用された。テスト飛行で時速660kmを出した同機は、世界最速の飛行機と呼ばれた。その後ジェット戦闘爆撃機Me262など、画期的な軍用機を産み出している。
◆クルト・ヴァルデマー・タンク
1898年生まれ、第一次世界大戦には歩兵として参戦。軍務の時代に物理の勉強をして、戦後ベルリン高等技術学校で物理学や電気工学を学んだ。設計者とテストパイロットの二刀流でMe社を含む数社を渡り歩き、フォッケウルフ社でFw190を設計する。Fw190は当初Bf109の補助戦闘機の位置づけだったが、実戦で頭角を現しドイツ戦闘機の双璧となった。後に空冷エンジンを液冷に替えた「鼻の長い」Ta152も実戦投入されている。
狭い欧州大陸ゆえ、戦闘機の航続距離は500~700kmほど。頑丈さや火力では日本機を上回りましたが、これらの航空機は太平洋では使えませんでしたね。