新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

司法制度改革、検察権限の変化

 2015年発表の本書は、元東京地検特捜部で現在は「郷原総合コンプライアンス法律事務所」所長の郷原信郎弁護士の著作。本書のタイトルにもなっている「告発」は、刑事訴訟法によって何人でもこれを行うことはできる。しかし組織犯罪(詐欺等でなくても品質偽装程度の事でも)を内部告発するのは、実際問題としてなかなか難しい。本書はいくつもの「告発」ケースを取り上げ、21世紀になってかなり変わってきた日本の司法、とくに検察の位置づけについて述べたものだ。

 

 1974年の「石油カルテル事件」では、公取が告発を行ったものの事件捜査能力のない公取の示した証拠では、事件を引き取った検察は有罪判決を得ることが出来なかった。1991年に米国の圧力のあって強化された独禁法下で、公取は「埼玉土曜会事件」を告発する。このとき検察庁から公取に出向中だった筆者は、公取の強い意志はわかるが刑事事件として立件は難しいと板挟みになって苦しむ。このゼネコン談合も、結局は「トカゲのしっぽ切り」で終わる。

 

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 しかし2006年の独禁法改正で、公取に刑事捜査権限が付与され、捜査にあたっては検察庁の傘下に入ることになって、制度は強化された。一見検察権限が強くなったようにも見えるのだが、同時に司法制度改革によって「検察審査会」権限も強化された。それまでは、検察として「不起訴」としてしまえば事件を終わらせられたのに、一般市民からなる審査会が「不起訴不当」との判断を下せば、検察は再捜査をしなくてはいけない。再度「不起訴」としても審査会が再度「不当」とすれば、強制的に起訴しなくてはならなくなる。

 

 この制度は「タコツボの司法の世界に、一般市民感覚を取り入れる」として裁判員制度と共に導入されたもの。これによって「検察の正義」を振りかざせばよかった時代は終わり、「検察の正義」と「告発の正義」がせめぎ合うようになったと筆者は言う。

 

 最後の50ページは筆者が主任弁護人を務めている「美濃加茂市収賄事件」のこと。市長に60万円の賄賂を贈ったという証言があるが、その人物こそ胡散臭い。筆者はその証人を別件で「告発」する奇襲に出て、地裁で「無罪」を勝ち取る。

 

 まるで法廷もの「ペリー・メイスンシリーズ」のような大活躍ですが、調べてみると控訴審では逆転有罪、最高裁でも棄却されて収賄罪は成立してしまったとか。有罪率99%の日本の司法は、健在ということでしょうか?