新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

山本周五郎賞受賞のミステリー

 1992年発表の本書は、以前「蒲生邸事件」を紹介した宮部みゆきの社会派ミステリー。本書はミステリーでありながら、山本周五郎賞を受賞した話題作だ。犯罪者に撃たれてリハビリ休職中の本間刑事は、遠縁の青年和也から消えてしまった婚約者を探してくれと頼まれる。

 

 身寄りがなく会社で事務をしている美しい娘彰子は、過去にクレジット債務で自己破産していたことがあった。それを和也に知られて顔面蒼白となり、その直後に失踪したという。親元を離れた都会暮らしで、少しずつ債務が膨らんで自己破産に追い込まれたようだ。

 

 本間がその過去を遡っていくと、彰子と和也が思っていた女は、別人だったことが分かる。母親の死で天涯孤独となった彰子に、何者かが成りすましたらしい。彰子の幼馴染みの男や同僚の碇刑事の助力を得て、まだ動きのぎこちない本間は「彰子の戸籍を盗んだ女」の影を追って宇都宮・大阪・伊勢・名古屋などを巡る。

 

        

 

 徐々にその女の写真や名前、何をしていたかが分かってくるのだが、彼女も高校生時代に一家がサラ金の犠牲になって離散していた。だから彰子に成りすましてからも、クレジットカードは作らず現金主義だった。しかし彰子の過去に自己破産があることはしらなかったらしい。では、女はどうやって彰子の個人情報を得たのか?そして母親の死は(自分が彰子でないことを知られないための)殺人ではないのか?多彩な登場人物が、現代のマネーと個人の関わりについて述べるシーンがヴィヴィッドだ。また行政機関での本人確認が不十分(*1)なこと、彰子に成りすました女もそれを利用したことが示されている。

 

 ミステリーとしては未完であり、真犯人が本間たちの目の前に現れただけで終わってしまう。碇刑事が言うように「証拠が足りず検察官に嫌われる事件」としては中途半端かもしれない。僕などは逮捕後の裁判シーンが読みたかった。しかし作者が書きたかったのはそんなものではなく、普通の人々がちょっとだけいい思いをしたり、優越感に浸ろうとする心理劇なのだと思う。

 

 山本周五郎賞を獲ったのは、作者の意図が読者に十分伝わったからですよね。

 

*1:当時はマイナンバー(&カード)もなく窓口で「本人です」といえば成りすましも容易だった