今日1月5日は、日露戦争の激戦地旅順要塞攻防戦が終わり、日本側乃木大将とロシア側ステッセル中将が公式に会った日だ。いわゆる「水師営の会見」である。2001年文庫書下ろしの本書は、軍事史作家柘植久慶の「旅順攻防戦史」。
いくつかある日露戦争のハイライトのひとつで、日本軍が多大の犠牲を出しながら戦略目標を陥落させた闘いだった。フィクション・ノンフィクションを問わず、作者の目は極端なほど愚将に厳しく、名将に温かい。本書でも両軍の総司令官について、
・常に安全な司令部にあって、現場をほとんど目にしていない
・戦術級のことに心を奪われ、司令官の役割としての戦略に疎い
共通点がある「愚将」としている。ロシア軍にも名将はいて、工兵出身のロマン・コンドラチェンコ少将(師団長)の活躍が語られる。彼は防御を固め、敵軍を撃退しつつ反撃を行う。
しかし他の指揮官(スミルノフ中将・フォーク中将ら)との「内戦」で消耗してゆき、第三次総攻撃の蔡に280mm砲の直撃を受けて戦死してしまった。
一方日本側も愚直に正面攻撃を繰り返す乃木大将に、伊地知参謀長は何度も具申を退けられる。徒に犠牲者を増やしてしまい、海軍の要求した期限を過ぎても要塞は落ちない。遂に児玉大将が、司令部を乗っ取りにやってきて・・・。
日本軍の愚策ぶりを、コンドラチェンコは「あんな攻撃を2度仕掛け、3度目命令されたらロシア軍なら反乱が起きる」と感慨深く見ていた。ロシア側の問題は兵士の無教養にある。半数が読み書きができず、命令がうまく伝わらないのだ。
日本軍は総計13万人を投入し、15,000名以上の死者、44,000名以上の負傷者を出した悲劇でした。近代的な要塞と機関銃は、膨大な血を吸うことが教訓として得られたのですが、欧州各国はWWIで同じ過ちを繰り返すことになります。将官たちの行動を冷徹な目で分析した、歴史書でした。