新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

最強の陸軍参謀次長

 昨日紹介した「旅順」にも登場するのだが、日本陸軍きっての名参謀と言えばこの人物、児玉源太郎にとどめを刺す。高名な戦略・戦術家メッケルは「児玉がいる限り日本が勝つ」と断言したと伝えられる。1992年発表の本書は、元海軍少尉で軍人の評伝を多く執筆している作家生出寿の児玉評伝。

 

 児玉源太郎は毛利系徳山藩の侍の家に生まれたが、不幸が重なり貧困のうちに育つ。明治維新で官軍に加わって頭角を現し、やはり長州出身3歳年上の乃木希典とともに出世する。函館五稜郭まで戦い抜いたという。明治政府が出来てからも不平士族の乱鎮圧に加わり、西郷隆盛との熊本城合戦で大活躍をした。この時、後年日清・日露戦争で陸軍を支えた何人もの将軍が一緒に戦っている。乃木はこの戦いで連隊旗を奪われる失態をして死のうとし、児玉に救われている。

 

        

 

 日清戦争でも2人は一緒に戦い、戦果を挙げた。清国から割譲された台湾を乃木が統治しようとして失敗し、内相となっていた児玉に台湾総督を譲ることになる。児玉は戦も強いが、統治にもたけていたようで内相兼台湾総督から副首相にまで上り詰める。

 

 しかしロシアとの関係が悪化し、朝鮮半島の権益を守るためロシアと戦う羽目になったとき、参謀次長(事実上の軍令指揮官)が急死してしまった。後任には2階級降格ながら児玉が適任とされ、彼もそれを受諾する。この時ロシア通のある士官は「ロシアは1を得て2を望み、2を得て3を欲する。際限がない」とかの国とは交渉できないと述べている。

 

 参謀総長大山巌元帥を支えて、児玉は戦争準備から現地指揮に奔走する。乃木が苦戦する旅順攻略にもついに口を出し、結果が見えたところで奉天に戻る大活躍をした。メッケルの予想は当たったのだが、終戦直後脳溢血で亡くなった。享年54歳。

 

 近代日本最強の参謀次長で、長生きすれば首相も務められたはず。彼が存命なら(メッケルの予言通り)朝鮮半島満州の経営もうまくいったかもしれません。中国との戦争もしなかったかもと思うと、残念でなりません。