新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

起きなかった真実の物語

 2013年発表の本書は、元イスラエル軍准将エフタ・ライチャー・アティルの作品。同国の秘密情報機関モサドの内幕を描いたもので、作者はモサドではないが軍の情報担当だったことから、モサドについての知識や人脈は多いと思われる。「はじめに」で、作者は本書を「決して起こることのなかった真実の物語」と紹介している。同時に「すべての諜報員に本書を捧げる」と言っていて、現役時代に知り合ったモサド工作員の協力を得て本書を書いたことが窺われる。

 

 モサドの優秀な潜入エージェントであるレイチェルが、父親の葬儀を済ませたロンドンから行方をくらませた。45歳になっても独身の彼女は、20年以上前からモサドの一員だった。ユダヤ人だが英国生まれ、父親とソリが合わず適性もあったことから、モサドリクルートした。英国在住のカナダ人というカバーをかけられた彼女は、イスラエル人として初めてアラブ某国(イランのような・・・)への潜入に成功する。

 

        

 

 某国では原題「The English Teacher」とあるように、英語教師を始める。教え子の一人ラシードは、化学会社の社長の息子。化学兵器開発に関係している可能性があり、レイチェルは彼に接近し関係を結ぶ。アパートを行き来するようになって、ラシードからは重要な情報が得られるようになる。

 

 最初はイミグレーションを通るだけでも内心おびえていた彼女だが、狙撃者ステファンの補助員を努めて暗殺を成功させたり、自ら得た情報で正体を突き止めた旧ナチの化学者は自らの手で葬るまでに成長する。某国からは撤収した彼女は、さらにイスラム過激派の首謀者を自動車爆弾で殺すことまでやってのけ、首相から勲章を受けるまでになった。

 

 物語は彼女のハンドラーだったエフードが、モサドの部長だったジョーに彼女のことを話すことで進む。そしてレイチェルの居場所を掴んだ2人は・・・。実に緻密な、リアルなエスピオナージでした。派手さはないが、迫力が違いますね。

犯罪組織対バン・ショウの仲間たち

 2016年発表の本書は、昨年「眠る狼」を紹介したグレン・エリック・ハミルトンの第二作。センセーショナルなデビューを果たした前作の勢いそのままに、元レンジャー隊員バン・ショウの活躍を好調に描いている。

 

 バンの本名はドノバン、祖父と同じ名前だ。祖父はドノと呼ばれ、彼はバンと呼ばれるようになった。9歳の頃から筋金入りの犯罪者だったドノから、泥棒のテクニックを教えられる。14歳の頃には自ら倉庫荒らしなど企画できるようになっていた。

 

 前作で10年振りに戻った故郷シアトルでドノの死を目前にし、犯人を挙げ部隊に戻ったたバンは、除隊してまたシアトルのドノの家に住みついた。ドノたちが経営していた酒場は、ルースという若い女のものになり、バンは彼女と半同棲のような暮らしをしているが、本人は失業状態。

 

 前作にも登場したドノの仲間の裏カジノ経営者ウィラードから、姪のエラナが2日ほど音信不通だから探してくれと依頼される。ちょっとしたアルバイトのつもりで引き受けたバンは、山小屋でエラナとその恋人ケンドらしい死体を発見する。一見ケンドがエラナを射殺し、自分も銃で自殺したように見えるが、熟練した泥棒&兵士であるバンは、現場に第三者がいて何か大きな荷物を持ち去ったことを知る。

 

        f:id:nicky-akira:20220303091449j:plain

 

 エラナもバンの幼馴染で、同じく泥棒稼業の家で育てられた。15歳でバンたちの犯行を手伝い、逮捕されて1年余り少年院で過ごした。見かけはほっそりした繊細そうな女だが、ハラは座っている。エラナとケンドの周辺を洗うバンの前に、死んだはずのエラナが現れるが、多くを語ってはくれない。

 

 前作ではウィラードらドノの泥棒仲間の支援は受けるものの、ほぼ単独で行動していたバンだったが、今回は有力な援軍がやってくる。部隊でバンの部下だった韓国系のレオナルド・パクは、一流の狙撃兵。除隊して行く当てもなく、シアトルまで流れてきたのだ。荒事も辞さない裏高利貸、ケンドの父親で巨大デベロッパーの社長、ロシアマフィアのボスの放蕩息子などがからんできて、バンは組織的陰謀に巻き込まれていく。そんな彼を、ルース・エラナ・パクらが支える。まるでチームのようだ。

 

 スピーディな展開はそのまま、前作を上回る事件のスケールで、どう分類していいか分からない作品です。現代の「義賊もの」か、ひょっとしたらネオ・ハードボイルドなのかもしれません。

 

米国を変えることができるか?

 2022年発表の本書は、女性米国政治研究者が集めた「現地女性たちの声」。自由の国米国のはずだが、そこにはいくつもの差別や偏見が残っている。○○(*1)だから、声を挙げられなかった人たちが、米国を変えようとしたことをレポートしたもの。テニスの大阪なおみ選手が「プレーヤーの前に一人の黒人女性として・・・」と発言したことなど10人の言動を挙げ、それまで抑圧されてきたことが近年米国のあちこちで噴出しているという。

 

 かつての黒人解放運動は、黒人男性によるものだったし、フェミニズム運動は黒人女性のものだった。いずれも性的マイノリティは対象ではない。それに比べて近年のBLM運動は、これまで運動の周辺部に追いやられてきた人たちも巻き込んでのものだ。

 

        

 

 大統領選挙など米国では、選挙権は申請しないとえられない。その資格審査は「完全一致法」という法律に基づき、大変厳しいとある。氏名等ハイフン一つ間違えただけで「保留」とされてしまうが、ある統計では「保留」5万件のうち7割が黒人だった。

 

 そんなハンディも乗り越えて、有色人種の女性が政界に進出するケースが増えてきた。現在大統領選挙を戦っているカマラ・ハリス氏だけでなく、民主党のオカシオ=コルテスら「ザ・スクアッド」は、社会主義的政策を声高に主張しているが、いずれも有色人種の女性である。

 

 学校での乱射事件で多くの友人を亡くし、銃規制に立ち上がった若い女性もいる。米国女性は他の先進国の女性に比べ、11倍も銃で殺される。その半分ほどは家族かパートナーが加害者だ。自衛のためか、女性の12%も銃を持っているのが米国の実態。有色人種が被害に遭う比率もやはり高く、マイノリティであることは命の危険にもさらされるのだ。

 

 バイデン大統領は「黒人女性を最高裁判事にする」ことを成し遂げました。最後のガラスの天井が破れるかは、来月判明することになります。

 

*1:女性だから、黒人だから、性的マイノリティだから等々

ロイヤル・スカーレット・ホテルの7階

 1938年発表の本書は、不可能犯罪作家ジョン・ディクスン・カーの<フェル博士もの>。ピカデリー広場に近い<ロイヤル・スカーレット・ホテル>での殺人事件に、博士とハドリー警視、クリス・ケント青年が挑む。

 

 クリスは富豪の友人ダン・リーパーと賭けをして、10週間をかけたヨハネスブルグからロンドンまでの無銭旅行に挑戦した。遂に目的のホテルに着いたのだが、有り金を使い果たして空腹に悩まされ、つい手にしたホテルのカード「707号室」の客に成りすまして朝食を頂戴した。

 

 ところがボーイに「707号室のお客様」と声を掛けられ、特別フロアの7階まで連れてこられてしまった。彼はそこで、従兄弟であるロッドの妻ジェニーの死体を発見する。ボーイの目を盗んで知り合いのフェル博士を訪ねると、2週間前にロッドも殺されていたことを知らされる。

 

        

 

 実はロッドはダンの秘書であって、今7階の特別フロアには、

 

・ダンとダンの妻メル、姪のフランシーン

・ダンの親友ハーヴェイ

・ダンの友人サー・ジャイルズ

 

 が滞在しているだけ。犯行のあった深夜0時ころには、ホテルの従業員もこのフロアに出入りしておらず、容疑者は限られていた。そこに、

 

・深夜にタオルの束で顔を隠したボーイの目撃証言

・盗まれたとされる2つのブレスレットのうちひとつが戻ってきたこと

・クリスが発見した時とは、少し様子の違っている犯行現場

 

 などの謎が持ち上がる。フェル博士らは、サー・ジャイルズの住まいがあるケント州で起きたロッドの殺人も含めて解決するため、関係者をケント州の<四つの扉荘>に集める。

 

 解説が本書を作者の会心作とほめていますが、確かに面白いミステリーでした。作者にありがちな過度のドタバタや複雑すぎるプロットが抑えめで、意外な犯人と犯行手段が秀逸でした。作者の未読作品のひとつでしたが、手に入って良かったです。

 

愛と裏切りの街、アイソラ

 1992年発表の本書は、巨匠エド・マクベインの<87分署シリーズ>。以前紹介した「寡婦」に続く作品である。新書版で350ページを越える大作で、キャレラたちは何度も命を狙われると訴える女エマのため、アイソラの街を歩き回る。

 

 株式仲買人マーティン・ボウルズの妻エマは、地下鉄のプラットフォームから突き落とされたり、車に轢かれそうになる。車の運転手には見覚えがあって、マーティンの運転手をしていた男だ。ところが、男は死体となっていた。夫は事件にどうかかわっているのか?夫はその後私立探偵を雇って妻を守ろうとしているのだが、キャレラたちは探偵アンドリューも怪しいと身元調査をする。

 

        

 

 実はマーティンには愛人がいて、結婚した時の契約で離婚時には財産を2分することになっている。もしエマが死ねば、マーティンは全財産を持った状態で愛人と暮らすことができる。エマも愛人の存在は気付いていて、親身に警護してくれるアンドリューに好意を持ち始めるのだが・・・。

 

 いつものように複数の事案が並走して、もう一つの事案は「寡婦」でキャレラの父親が殺された事件(*1)の裁判。キャレラは裁判を傍聴する一方、エマの事件の現場と往復する日々だ。このシリーズには珍しい法廷シーンが、ふんだんに盛り込まれているのがうれしい。また通常犯人(正確には容疑者)逮捕で終わる事件の、後日譚が語られるのも珍しい。

 

 裁判が進むにつれて、キャレラも協力して逮捕した容疑者ソニー(*2)の犯行説に疑問が出てくる。さて、この2つの事件の結末は。

 

 エマを巡る愛憎と、キャレラの母親や妹を含む家族愛がテーマでした。それにしてもとても長い・・・。

 

*1:警官の父親を殺した容疑者 - 新城彰の本棚 (hateblo.jp)

*2:殺人に使われた9mmミニウジーを持っていて逮捕されたのは事実