新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

帝国海軍の4発機

 第二次世界大戦は、事実上「空の闘い」だった。巨大戦艦も重装備の戦車も、制空権なきところでは有効な働きはできなかった。大戦前の研究時代も含めて数多くの機体が構想・設計・試作され、その大半は日の目を見ることなく廃棄された。

 
 十分な航空資材を得られない「持たざる国」大日本帝国では、4基以上の発動機を積んだ大型機はことごとく構想のみで終わり、イギリスのアブロ・ランカスターやアメリカのB-17フライングフォートレス、B-29スーパーフォートレスのような機体を完成させ得なかった。
 
 その例外が、飛行艇である。川西航空機が開発した97式飛行艇二式飛行艇だけは、4発の実用機として前線で活躍した。特に二式飛行艇は「二式大艇」と呼ばれ、他国の飛行艇の追随を許さない高性能を発揮した。
 

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◇ショートサンダランド(イギリス)
 ・初飛行 1937/10
 ・自重 15.6トン
 ・エンジン出力 4,280馬力(4基)
 ・最大速度 340km/時
 ・航続距離 3,800km
 ・武装 7.7mm×8
 ・爆弾など 1,800kg
 
コンソリーテッドコロネド(アメリカ)
 ・初飛行 1938/12
 ・自重 18.6トン
 ・エンジン出力 4,800馬力(4基)
 ・最大速度 360km/時
 ・航続距離 3,900km
 ・武装 12.7mm×8
 ・爆弾など 3,600kg
 
◆川西二式飛行艇(日本)
 ・初飛行 1940/12
 ・自重 15.5トン
 ・エンジン出力 6,120馬力(4基)
 ・最大速度 430km/時
 ・航続距離 4,400km
 ・武装 7.7mm×4、20mm×1
 ・爆弾など 2,000kg
 
 陸上攻撃機や艦上攻撃機は1本の魚雷しか搭載できないが、この飛行艇は2本の航空魚雷を抱えて敵艦船への雷撃をすることまで想定されていた。それゆえの高速性能だったようだ。さすがに雷撃を敢行したという記録はないが、B-17と空中戦をしたこともある。潜水艦からの給油を受けて、ハワイを空襲したこともある。偵察・輸送・救難なども含めた万能機だった。
 
 飛行艇としての安定性や機体の頑丈さなどに技術的特徴があり、アメリカ軍は終戦時残っていたこの機種を本国に持ち帰り、徹底的に分析したようだ。その機体は後に返還されてお台場に展示されていたが、今は鹿児島県の鹿屋で保存されている。当時最高性能を誇った飛行艇技術は、いまでも救難等に使用される海上自衛隊US-2(新明和工業)などに引き継がれている。