1929年、ダシール・ハメットが「血の収穫」を発表してから、リアリティのあるハードボイルドミステリーが興隆してきた。曰く「殺人をしゃれた花瓶から引き抜いて、裏通りに投げ出した」らしい。これまでのミステリーが富裕層の豪邸で展開されていたところ、彼らの諸作は市井の人たちを描きリアリティに富んでいたことは確かだ。
私立探偵というのは、ポアロのように警察をアゴで使ったりはしない。殺人の捜査をすることすらまれである。「血の収穫」でも、主人公の「おれ」は依頼を受けて田舎町に出向き、依頼人が殺されたことから殺人事件に巻き込まれる。以前紹介したように、ハメットの諸作はギャング小説に近いもので、「血の収穫」では殺人事件解決の前に数十人の犠牲者がでてしまう。
もう少しミステリーよりに戻したのが、正統派二代目のレイモンド・チャンドラー。哀愁をたたえた後ろ姿が印象的なハリウッドの私立探偵、フィリップ・マーロウのファンは日本にも多い。マーロウも「失踪した兄を探してほしい」と尋ねてきた若い女の依頼で、殺人事件に巻き込まれる。
「さらば愛しき女よ」の大鹿マロイ、「長いお別れ」のテリー・レノックスなど、マーロウに関わる男たちに、チャンドラーは暖かい視線を向ける。「ギムレットには早すぎる」「警官にさよならを言う方法はまだ発明されていない」など、独特なセリフでファンをとりこにした。
さて今回紹介するのは、正統派ハードボイルドの三代目ロス・マクドナルド。ロスアンゼルスの私立探偵リュー・アーチャーを主人公に、落ち着いた質の高いハードボイルド小説をいくつか書いた。マクドナルドによって、正統派の古典は確立されたと思う。どちらかといえば男の哀愁を書いたチャンドラーに対し、女を見つめる傾向にあるようだ。
今回円熟期に書かれた「ウィチャリー家の女」を読み直してみた。この作品、最初に読んだのは大学生になったばかりのころ、犯人探しばかりに血道を上げて読み、それほど意外な結末ではないと評価を下していた。今読むとハードボイルドの中では十分意外性のある結末だし、1960年代の米国の家庭の悲劇(女性の悲劇)がヴィヴィッドに描かれている。
「カリフォルニアの果実のように早熟で、十代にしてすでに熟しきり、甘やかな数カ月または数年のうちに誰かの手にもぎとられてしまうタイプのブロンド」と私ことアーチャー探偵はある登場人物を紹介する。これが、作者の視点であることは明らかだ。