新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

人生のリセットボタン

 僕は大学を選ぶにあたり、当時できたばかりの「Computer Science」学科に入り、IT屋として足掛け40年暮らしてきた。企業に入って最初の10年は技術で、次の10年はお金を回すことで、次の10年は社内の人脈を生かして、そして今は社外も含めた広めのネットワークを糧に生きている。そのように転進してきたのだが、社内の先輩のアドバイスもあったがこの人物の著書を読んだことも大きい。実際僕には及びもつかないダイナミックな転進をしている人だ。


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 学部は、早稲田大学理工学部繊維工学科。繊維産業は当時の花形産業で、日米繊維摩擦を引き起こすほどの輸出・ドル箱業界だった。しかし彼は繊維産業に見切りをつけたのか、大学院は原子核工学を選ぶ。
 
 MIT留学を経て、博士号を持って日立製作所に入社する。ドクターがゴロゴロ居ると言われる同社だが、当然のように重要プロジェクトは担ったようだ。しかし2年程度で退社、マッキンゼーに入ってコンサルタント業に従事する。
 
 マッキンゼーでは日本支社長まで務めるが、著述活動が増え、20年ほどで退職。「平成維新の会」を設立して政治活動を始める。しかし1994年の東京都知事選挙に落選、続く1995年の参議院議員選挙にも敗れ直接政治にタッチすることはあきらめた。
 
 1994年の都知事選挙は、今にして思えば奇妙な選挙だった。世界都市博覧会を中止すると主張しただけで、選挙運動も何もしなかった青島幸男候補が当選。この時、ほぼすべての政党が支持した石原信雄元内閣官房副長官が敗れるという波乱があった。青島都知事世界都市博覧会中止以外の事は、実際何もせず石原慎太郎知事に後をゆだねる。今の都政の混乱も、このころからの歪みが起因しているように思う。
 
 都知事選挙で供託金没収の憂き目にあうほどの惨敗を喫した大前候補は、「大前研一敗戦記」を書いて政治からの決別を宣言する。この書の中で「時々人生のリセットボタンを押す」と書いてあったのが、僕の潜在意識に残った。繊維産業・原子力産業・コンサルタント業・政治への働きかけなど、自らのやるべきことを変える節目には、リセットボタンを押す勇気がいるのだと感じた。
 
 僕には、それほどの勇気も才能もない。しかし一気にリセットまではできなくても、10年ほどかけてゆっくり転進することならできると思った。彼の主張すべてを納得するわけではないが、生き方の指針をくれた人物であることは間違いありません。