新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

卑しき街の孤高の騎士

 正統的ハードボイルドというと、ダシール・ハメットレイモンド・チャンドラーロス・マクドナルドという系譜が思いつく。今回はその次男坊、レイモンド・チャンドラーをご紹介したい。主人公フィリップ・マーロウは、ハリウッドに住む私立探偵。作中では、「私」という一人称で登場する。
 
 一人称である以上、読者はマーロウの見聞きしたものしか情報を得ることができない。例えばD・M・ディヴァインがよく用いるように事件に関係あることをさまざまな角度から描くことや、ワトソン役を置いて読者にヒントを与えることもできない。しかし、ひとりの主人公の生きざまを克明に描くことができる。

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 例えばエルキュール・ポワロという私立探偵もいるが、あまり依頼を受けて事件(大半は殺人事件)を担当することは多くない。ましてや、浮気調査や失踪人捜しを請負うようなことはない。探偵の免許を持っているとは聞かないし、警察をアゴで使ったりしている。最初は、こういうのが私立探偵だと思っていた。
 
 もちろん、現実は違う。米国では、私立探偵の免許は地域で認可される。当然、警察とはうまくやらないといけない。殺人事件などは警察・検察の仕事だし、関わるとしたら容疑者の担当弁護士などから、再調査を依頼されるくらいだろう。依頼は、離婚や相続からみの話が多い(それも腕を見込まれての話)。
 
 マーロウは、そういう意味で現実的なヒーローだ。拳銃の腕が抜群というわけでもない、殴り合いに強いわけでもない。反対に、何度も殴られて気を失っている。それでは、何がすごいのか?高いモラルとブレない姿勢、ではないかと思う。
 
 舞台となるハリウッドは、当時(1940年前後)あぶく銭のあふれる、虚飾の街だった。カネにものを言わせる俗物や、悪徳警官がうごめく「卑しい街」で、モラルを保ち窮地に陥っても粋なセリフを忘れない彼は、やはり「ヒーロー私立探偵」なのだ。