新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

読者への挑戦

 日中戦争から第二次世界大戦の期間、日本の探偵小説は弾圧されていた。世間をいたずらに騒がす犯罪ものはけしからんというのが直接的な原因のようだ。英米発の探偵小説を、敵性文化と見たということもあろう。作家たちは徴兵されないまでも、筆を折るか戦記ものに転向せざるを得なかった。

 
 いわゆる「終戦」つまりは敗戦によって、その重石は除かれた。戦後1950年までは、その抑圧されたエネルギーが一気にほとばしり出た時期に当たる。その中でも本格中の本格ものでデビューしたのが高木彬光だった。1948年に「刺青殺人事件」を発表して、本格的な密室殺人と明晰神のごとき名探偵神津恭介を世に問うた。神津恭介という人物についてはいかにも名探偵らしい名探偵として、以前紹介した。

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 本書は、「刺青殺人事件」「能面殺人事件」に次いで1949年から50年にかけて「宝石」に連載されたものである。戦後人気は衰えたものの巨大な資産を持つ新興宗教紅霊教の教祖一家を襲う面妖な事件を描いた作品である。
 
 教祖の孫娘3人があるモチーフのもとに狙われることや、復員兵の影がちらつくところなどは横溝正史の名作「獄門島」を想起させるものがある。本格探偵小説としての横溝正史への挑戦が、本書の中心にすえられているような気がする。
 
 事件の現場は奥武蔵野、おそらくは奥多摩方面と思われる。当初ワトソン役の松下研三(彼も東大卒の医師である)が現地に赴くのだが、連続する殺人事件をいかんともしがたく神津恭介の到着を待つことになる。教祖の孫娘が、浴室で密室状態で殺されたのも含め不可能興味はボルテージが上がる。
 
 犯人の跳梁は恭介が到着してからも続き、恭介にとっては「最大の敗北」になるのではないかとの観測も流れる。しかし、そこには狡猾な犯人と恭介の知的な闘争が始まっていたのである。
 
 作者は2度にわたって「読者への挑戦」を掲示する。エラリー・クイーンのそれに比べてやや過激な文言ではあるが、フェアな挑戦であったことは確かだ。この作品は昔読んだこともないのだが、犯人は分かりました。犯行の手段など分からなかったこともあるのだが、挑戦に対しては70点くらいの回答だったでしょう。このような挑戦は昔から大好きですが、単なるパズルでいいのかという批判を生むことにもなった「挑戦」でした。