新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

フェラーズの描く「相棒」

 ミステリーの始祖エドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人」には、すでに2人組で犯罪解決に挑む姿が描かれている。名探偵オーギュスト・デュパンに「わたし」という語り手が付いていて、読者は「わたし」にある程度自分を映しながら物語を読み進んでゆく。

 
 この「わたし」という語り手は、シャーロック・ホームズの相棒ワトソン博士にちなんで「ワトソン役」と呼ばれている。初期のころのポアロにはヘイスティングズ大尉、ファイロ・ヴァンスにはS・S・ヴァン・ダインが付いている。日本でも、戦後初期の高木彬光の名探偵神津恭介には、大学同期の松下研三という大食漢作家がワトソン役を務めた。

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 ただこれらのケース、作者と同名のS・S・ヴァン・ダインを除き、徐々にワトソン役は用いられなくなった。パターン化して飽きられるのをきらったのか、作家自身が飽きたのかはわからない。以前「私が見たと蝿がいう」という作品を紹介したイギリスの女流作家エリザベス・フェラーズも、初期には2人組の探偵シリーズを書いた。その2人とは、犯罪ジャーナリストであるトビー・ダイクと相棒のジョージ。
 
 名探偵と世に知られているのは、颯爽とした風采のトビーの方。そしてこのシリーズの語り手はトビーであり、トビーが「わたし」である。一方ジョージは、野暮ったい小男で弁舌をふるうのも得意でない。フェラーズは、ワトソンとホームズの逆転を起こして物語に変化をつけたのである。
 
 2人に舞い込んだのは誘拐事件の解決だったが、出向いてみると被害者はチンパンジー。短気を起こしたトビーが依頼を断って帰ろうとしていた矢先、そのチンパンジーが刺殺される。トビーはいろいろ推理をするのだが、少しだけ外れた「迷探偵」ぶりをあらわす。一方口数すくないジョージは、目立たない外観を武器に最後の50ページで真相をつかむ。それでも「僕は説明は上手くない」といって、大団円の場をトビーに譲るのだ。
 
 前半はひどいドタバタ劇(ディクスン・カーのドタバタとはちと違う)で投げ出したくなったのだが、後半の展開から謎解きシーンは面白いです。ワトソンとホームズの逆転のようなそうでないような、不思議な「相棒」物語でした。