新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

「海の忍者」の死に方

 太平洋戦争での潜水艦戦というと、帝国海軍の潜水艦の喪失について語る書籍は多いのだが、本書は太平洋戦線での連合軍潜水艦の最期についてまとめたものだ。輸送船ばかりでなく大戦後期では主力艦(戦艦金剛や重巡摩耶、新鋭装甲空母大鳳まで)を沈めた連合軍潜水艦だが、60隻近くを戦闘で失っている。

 

 80年前の技術レベルでも「海の忍者」として恐れられた潜水艦は、当時は「可潜艦」であって、水中での速度は数ノット、長時間の潜航も難しい。ただそこにいるかどうかわからないということが、防御側へのプレッシャーになった。

 

 忍者の死に方が武将などと違って記録に残っていないのは、多くの場合「行方不明」になって終わるので、味方はもちろん敵側でもその「死に方」が分からないからだ。本書ではおおむねこうだったろうという例を60弱列挙している。

 

 開戦早々日本軍は連合軍の港湾を空襲、何隻かの潜水艦もその時に沈めている。例えばマニラ湾のキャビテには、米軍の軍港があり台南空の爆撃機はキャビテの魚雷保管庫を爆撃したついでに、1隻撃沈1隻撃破の戦果を挙げている。この時200本余りの魚雷を失ったことで、米軍はしばらく魚雷不足に悩むことになる。

 

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 連合軍潜水艦が撃沈されたケースで目立つのは、空海の共同作戦によるものだ。艦攻、陸攻、水偵が浅く潜航している艦影を発見し、対潜爆弾を落とし損傷させたところに駆潜艇などが駆けつけてとどめを刺すというもの。損傷しないまでも存在が暴露された時点で、潜水艦は窮地に陥る。

 

 一般に対潜能力が不足していたとされる日本海軍だが、1943年制式の三式水中探信儀など聴音兵器には優れたものがあったと本書にある。一旦発見した目標なら、河川砲艦や輸送船を改造した特設艦艇でも相応の戦果を挙げられたようだ。

 

 中には陸上砲台に討ち取られたり、輸送艦に体当たりされて沈没したという信じられないケースもある。また自分で撃った魚雷(浮遊魚雷というらしい)が舞い戻ってきて、命中し沈没したも2件あった。ひどいのになると、敵味方識別信号を送ったのに認識されず「日本軍潜水艦」として連合軍艦艇に沈められてしまったケースもあった。

 

 ちなみに子供の頃喜んで読んだ「サブマリン707」(小沢さとる)で良く出てきた、潜水艦対潜水艦の戦闘で沈んだ連合軍潜水艦は2隻だけでしたね。