新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

千草検事最後の挨拶

 本書(1989年発表)は、土屋隆夫の千草検事シリーズ最後の作品である。本書の解説にあるように、前作「盲目の鴉」から9年を経ての書き下ろし。「9年ぶりだから傑作とは限らないが、寡作は傑作の条件のひとつ」なのである。

 

 本格ミステリーとして「小数点以下の剰余があってもいけない」と作者自身が言うように、マギレが全くない解決が作者の特徴である。後の大家で「書き始める時は結末がどうなるか、誰が犯人かは私も知りません」という人がいた。多くの連載を抱えているゆえやむを得ない面はあるが、どうしてもその作品にのめり込めなかった理由はそこにある。余詰めがないように十分煮詰めれば、寡作にならざるを得ず、1958年の「天狗の面」から2007年「人形が死んだ夜」までの間に、合計14編の長編しか作者は残していない。

 

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 本書は冒頭、産婦人科学会の重鎮で日本の人工授精の権威でもある久保教授が、20歳の娘の強姦致死容疑で拘留されているところから始まる。教授は犯行を認めているのだが、強姦は偽装でありそもそも動機が全く理解できないことに千草検事は困惑する。そこから時代は教授が学生時代に姉を自動車事故で亡くしたこと、事故で姉を殺した男が人工授精を依頼に来たことなど、40年にわたる過去が綴られる。

 

 当時「悪魔の医学か、神の福音か」と倫理的にも宗教的にも議論になった人工授精。久保助教授はその男への恨みから、彼の妻への人工授精に「細工」をする。そして20年経ち、次男が連れてきた恋人がその時の人工授精で生まれた娘であることを知って動揺する。

 

 400ページの前半は、倒叙推理の形式で久保教授の独白が続く。そこまでは心理学的なてがかりしか読者には与えられない。後半に入ってようやく千草検事チームの捜査が描かれ、物理的な手がかりが読者の前に現れる。作中「粗雑なアリバイ工作」と評される電話トリックでも、扱いようによっては長編を支えることもできそうなものだ。しかしもちろん、作者はもっと大きな仕掛けを用意していた。

 

 動機の謎から人工授精という技術に対する世評、倫理面含めた学会の葛藤などを描きながら、単なる事件の解決ではない大きなものを作者は読者に問いかける。読後の重厚さを書評は褒めているが、全く同感でした。これで手に入れた千草検事もの終わりです。土屋先生に拍手・・・。