新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

透明すぎる昭和

 作者の仁木悦子は、1957年「猫は知っていた」でミステリーデビューし江戸川乱歩賞を受賞した。それ以前は大井三重子名義で童話を発表し、文章が上手く爽やかな物語を書く名手と言われていた。本書の解説にも「非常に透明な筆致」との賛辞が見られる。

 

 作者は4歳の時に胸椎カリエスを発症し、歩行が出来なくなった。終戦までに両親と長兄を失い、戦後は次兄と暮らしながら童話を書き、ミステリー作家となった人である。障害ゆえ学校には行かず独学で学び、欧米のミステリーは大好きだったという。「ミステリーほど民主的な文学はない」というのが持論だった。

 

 本書はいろいろなところに発表された短編(長いものでも70ページほど)を6編収めた短篇集。舞台も主人公も、犯罪そのものもバラバラなのだが、昭和の時代を切り取ったという点で鮮明な主張がある。まさに「透明な感覚で車椅子から観た昭和」がそこにある。

 

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 表題作「銅の魚」は、都心の中学生(高校生かも)の少年が埼玉の田舎町にGolden Weekの三連休にやってきて、遭遇する殺人事件。都会と田舎町の感覚の違い、元華族で田舎の名士に嫁いだ女、明治時代の「矢立」を大事にしていた老人の死、矢立に付属していた金属製の魚などが、古の昭和を感じさせる。

 

 寝たきりになっても愛読書のある土蔵から出ようとしない老人が、嫁に古書を売られてしまった憤怒。1歳そこそこの娘を誘拐され、身代金を要求された母親の葛藤。地元出身の青年俳優がロケで里帰りした時に、少女が企む犯罪解決・・・。物語の中心には必ず少年少女、少なくとも20歳そこそこの娘がいて、体の不自由な老人も時々顔を出す。みんな庶民で、悪党もいるけれど真からの悪人ではなく、どこかに救われるべきものを持っている。

 

 インターネットはもちろんなく、庶民のハイテクと言えばフィルムカメラやオープンリールのテープレコーダーくらい。手掛かりはあくまで人間の感性から生まれる物語だった。

 

 作者は58歳で亡くなるまでに、11作の長編ミステリーを遺しましたが、代表作「猫は知っていた」を含めて最近では書店で見かけることがありません。しかし今読み返してみると、本当に「透明な昭和」を遺してくれたのだと痛感します。