新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

死刑を巡る攻防の歴史

 本書は、以前「Wの悲劇」を紹介した夏樹静子の日本の裁判史。<オール読物>などに掲載された12の小編を、2010年に単行本化したものである。先月森炎著「死刑と正義」で見たように、罪状は明白でも極刑を選ぶべきかについては、いつの時代も判断に迷う。ここに収録された12の物語のうちの大半は「この状況で死刑とすべきかどうか」を争ったものだ。

 

 最初の「大津事件」は、ロシア帝国のニコライ皇太子。後のニコライ二世で、日露戦争ロシア革命を経て処刑された最後の皇帝である。彼が日本を訪れた時、警護の役目にあった津田三蔵という巡査が殺意を持って切りつけ、負傷させた事件である。当時の日本はロシアを相手にするなど不可能で、政府としてはせめて犯人を死刑にしてロシア政府に謝罪したかった。しかし法曹界は、政府の有形無形の圧力に屈せず極刑とはしなかった。

 

        

 

 また天皇家を狙ったとされる「大逆事件」では拷問による自白が重視され、冤罪の可能性が高かった人たちが死刑になった。戦後混乱期の「松川事件」では、やはり当局の苛烈な取り調べによる自白を巡った14年もの長い裁判が続けられた。同時期の「帝銀事件」でも、死刑判決が確定した平沢死刑囚の死刑は執行されず、95歳での獄中死を待った。

 

 「死刑と正義」にも例示されていた「永山事件」では、米軍人宅から盗んだリボルバーで4人を殺害するなど凶悪な犯罪自体と、被告人の悲惨な生い立ち、未成年だったことなどで死刑か否かが争われた。

 

 実は今でも存在している「陪審員制度」を昭和初期に実施した例もとりあげられていた。素人陪審員は有罪・無罪を判断し、量刑までは決めないスタイルだった。しかし、裁判官が陪審員の結論が気に入らなければ、何度もやり直せる規定などが問題で行われなくなっている。

 

 筆者は始まったばかりの裁判員制度に興味を示しながら、懸念も表明しています。素人が死刑を言い渡す意味を、問うているのかもしれません。