新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

侵略を主導したのは民間

 朝鮮半島の歴史については、以前呉善花著「韓国併合への道」で李氏朝鮮末期の腐敗・混乱ぶりを、また池東旭著「韓国の族閥・軍閥・財閥」で半島が常に周辺から収奪される存在であったことを紹介した。今も「日帝支配への恨」の意識が残る韓国だが、ではその侵略はどのように行われたのか?日本の視点で書かれているのが本書(2002年発表)。著者の高崎宗司氏は、日本と朝鮮半島の現代史を専門とする歴史家。

 

 1876年に日朝修交条規が締結されて、日本人が釜山に上陸した。どんな人たちがやってきたかと言うと、仲買商・貿易商・諸工・小売り・飲食・日雇い・質屋などである。彼らは「居留区」を作り、日本と同じ暮らしをしようとした。半島に何を求めたかと言うと、最大の商材は米。内地では人口急増に追いつく米作ができていないかった。

 

 内地の人口問題は、半島への「人的輸出」も呼んだ。内地で食い詰めたもの、ゴロツキ、壮士なども続々海を渡ってきた。上記修交条規は、韓国側に関税権すら認めていない不平等条約。半島でいい思いをしようとするヤカラがやってきたのだ。もちろん大手企業や銀行も来るのだが、圧倒的に商業も金融もいかがわしいものが多数。質屋の利息は「10日で1割」が普通だったとある。

 

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 しかしこのような利権を日本人が独占できるわけもなく、最初は清国、次にロシアが介入しようとして、日清・日露の戦争が起きた。ロシアとの講和が成ると、流れてくる日本人数はうなぎのぼり。ピーク時75万人に達する。

 

 正式な日韓併合は1910年だが、それ以前に「侵略」はかなり進んでいた。政治はそれを追認したにすぎないと思う。高利貸しが現地の人達から土地を収奪、米も農民から押し買いのように奪い、代わりに「外米や雑穀」を輸入して現地の人にあてがった。

 

 悲惨な日常生活を送る現地の人達を尻目に、日本人は(内地ではとても望めない)広い屋敷に住み、優雅に暮らした。企業社宅では水洗トイレ完備が普通だった。これらの生活は、100%収奪で得たものと見ていい。

 

 鉄道を引き、植林をし、ダムを作り、重工業(特に北で)を興し、日帝はいいことをしたとの意見もあるが、筆者は「それは自らのためにしたこと。次の収奪や他国への備えのため」と言う。本書を読めば、慰安婦・徴用工の事実はともかく、半島人の「恨」は良く分かるように思います。