新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

経営者1.0~1.5~2.0へ

 平成の30余年は、後年「失われた30年」と呼ばれるかもしれない。初期こそバブルに踊り高揚感のあった時代だったが、以降日本では経済成長が止まってしまった。その間中国などで高い成長率が続き、米国市場もGAFAMを始めとする巨大ITの登場など、新陳代謝が著しい。

 

 では日本は何を誤ったのか?そのヒントが本書(2013年発表)にあるように思う。著者の森功氏は「週刊新潮」編集者などを経てフリーとなった、ノンフィクション作家。12章に分けて、バブル期や新自由主義が唱えられた時代の「事件」を詳述している。かなりの部分が政・官・業の不適切な関係に占められていて、ヤクザ組織なども登場するが、基本的には「経営者」の問題である。

 

 章のタイトルに政治家の名前があっても、金丸信の章では佐川急便、小沢一郎の章では水谷建設が実質の主役。大蔵官僚の章では、「イ・アイ・イ」グループなどが大きな存在感を持っている。改めて登場する経営者を眺めてみると、3つのタイプに分けられるように思う。

 

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 一つ目は、伝統ある企業で社内抗争を勝ち抜いた「天皇」が、私腹を肥やしたりバブルに踊って巨額の損失を出したりしたケース。いわば経営者1.0のような人たちだ。立志伝中の人物(例えば日経の私の履歴書にでてくるような人)が多く、戦争で死んでいたはずでおまけの人生と割り切っていたり、赤貧の中で育ち<清濁併せ呑む>手法で生き残ったりしている。

 

 二つ目は、規制緩和やバブルの波で急成長した組織の長。いくらでも借金ができる、それどころか借りてくれと金融機関に頼まれるような時代ゆえ、誰にでも「時代の寵児」になる機会があった。そのようにして名を挙げた人の多くが、泡沫のように消えていった。彼らは経営者としては1.5、ちょっとした「あだ花」だった。

 

 最後が、イノベーションを興そうとしたものの、やっかみを浴びて大きな流れに乗り切れなかった人。具体的には村上ファンド村上世彰)、ライブドア堀江貴文)といった経営者2.0に成れたかもしれない人たちだ。リクルート江副浩正)が入るかどうかは、判断が分かれる。

 

 個々の事例の是非はともかく、日本では経営者2.0が少なく「失われた30年」を作ってしまったように、本書を読んで思いました。