本書は、何気なくBook-offの棚から手に取って買って帰った。作者の名前も知らず、ただ本格ミステリー短編集だろうなと思ったくらいだったのだが、解説を読んでびっくりした。ドロシー・L・セイヤーズが挙げた名探偵の系譜の中に、本書の主人公モリス・クロウが取り上げられているという。
さらにエラリー・クイーンが名作とされる短編集106冊を選んだ「クイーンの定員」という選集があるが、そこにも本書が登場するという。1913~1914年の間にサックス・ローマーが発表した短編を集めたものだが、時代からして「思考機械」らの名探偵に肩を並べる重要な作品集だと思う。
作者には「怪人フー・マンチュー博士」のシリーズがあり、そちらでも好評を博したと解説にある。この名前どこかで聞いた記憶はあるが、読んだことはない。モリス・クロウも、フー・マンチューに劣らぬ怪人物だ。ロンドンの下町で骨董屋を営み、興味がある事件にだけ首を突っ込んで、決して失敗しないと自分で言う。その主張は、
・犯罪は周期的に起きる。
・あらゆる貴重な遺物にはそれをめぐる犯罪の歴史がある。
・人の思念は不滅である。
というもの。
加えて犯罪捜査にあたっては現場に行き、お清めをしたクッションの上で眠る。睡眠中に犯罪を起こした何者かの思念を感じとり、犯人やその手口を暴くというものだ。年齢不詳で異様な姿かたちをしているが、娘のイシス(女神の名前!)は絶世の美女だ。
持ち込まれる事件は、古い館で聞こえる「霊の叫び」や閉じられた部屋で次々に起きる殺人、密室から消えた高価なダイヤモンド、象牙製の女人像の「失踪」、博物館のミイラの首が何体も斬られるなど奇々怪々なものばかり。そのうちの半数は、オカルトの味付けはしてあるものの、ちゃんと物理的に説明できるトリックが仕込まれている。その中には、ロンドンのガス灯時代ゆえのなりすましやすり替えもあるのだが、時代を考えればやむを得ないことだろう。短編10編、十分楽しむことができた。
この作者のことは全く知らなかった。これはありがたい「無知」でしたね。こういう隠れた「名探偵」に出会えるのは、マニアにとって、一番うれしいことですから。