新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

夜の蝶が乗った玉の輿

 ミステリーの翻訳や評論をしている人が自分でもミステリーを書くというのは、珍しいことではない。以前ハードボイルド小説に詳しい小鷹信光の「探偵物語」を紹介したが、舞台は日本、登場人物は日本人になっていても、テイストはすっかりアメリカンハードボイルドであることに驚いた。

 

        f:id:nicky-akira:20190424203418p:plain

 
 小泉喜美子のデビュー作である本書は、「オール読物」の新人賞候補になり入賞はしなかったが高い評価を得て出版されたものである。作者は、その後ジョゼフィン・ティ「時の娘」や、クレイグ・ライス、P・D・ジェイムズの諸作その他の翻訳を手掛けた。
 
 ナイトクラブのダンサー「ミミーローイ」こと漣子は、舞台を降りると内気な娘。八島財閥の一人息子杉彦の熱烈プロポーズを受け入れて、玉の輿に乗る。しかし八島家の豪邸に入った漣子は、親族だけではなく出入りの医師、弁護士、使用人達の好奇の目にさらされる。
 
 一方の杉彦は元々放蕩息子で八島産業の重役ではあるが、無能でカネをバラまくことしか能がない。夜の蝶を妻に迎えたこともあって、廃嫡されそうになる。そんな中、当主の八島老人が撲殺され、杉彦と漣子に容疑が掛かる。
 
 プロローグとエピローグはいずれも、拘置所の金網越しに言葉を交わす杉彦と漣子のシーンである。作者は非常に慎重な書きぶりで、老人殺害で有罪となり死刑判決を受けたのが、杉彦なのか漣子なのかを明かさないまま物語を進める。一人殺して死刑というのに違和感がある人もいるだろうが、この時点では刑法200条「尊属殺人」の条項が生きていたから。(直系尊属の殺人は、死刑または無期懲役:1995年の改正で削除)
 
 物語の前半は杉彦と漣子の過去を描くことに比重が置かれ、殺人事件は全体の2/3をすぎてようやく描かれる。被告人側は、新しい弁護士と証人を得て、控訴審に臨むことになる。この弁護士というのが風采は上がらないが実に有能、そして新しい証人は意外な人物だった。
 
 コーネル・ウールリッチカトリーヌ・アルレー、ロバート・トレイヴァーらの影響が、ありありとわかるミステリーである。デビュー作には全てが出るものだが、彼女も本当に好きなものを全部書き込んだのだろう。特に夜の蝶だけれど純真な娘漣子の心情には、女性しか書けない迫力がある。作者は新宿のバーの階段で転んで意識を失い、そのまま亡くなった。享年51歳。惜しいことでしたが、いかにもそれらしい「死に場所」だったのかもしれません。