新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

周遊券と急行列車の想い出

 当時の国鉄営業キロ数は、約20,800km。これを全線乗り潰すという愚挙とも快挙ともつかないことに挑戦する話を聞いたのは、大学に入った時。クラスメートの一人がそれを目指していて、高校まではほとんど遠出をしたことのない僕には全く新しい世界だった。

 

 幸か不幸かパズルは好きで、時刻表の巻末にある「新ダイヤで全都道府県の県庁等所在地を廻る最短時間は?」などの難問には嬉々として挑んだものだ。その後この友人らと長い休みを利用して、山口・出雲・仙台などに出掛けている。ちょうど大学を卒業するころに出版されたのが本書。「国鉄全線完乗」にいたる最後の日々を記録した、ユーモアたっぷりのエッセイである。翌年の「日本ノンフィクション賞」を受賞している。

 

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 今回再読して改めて思ったのは、当時は急行列車が昼間も夜間もたくさん走っていたなということ。そして一定の区間内なら急行列車の自由席に乗っても追加料金が要らない、各種の周遊券があったことだ。今でも周遊券そのものはあるのだが、急行列車が激減してしまったので魅力が薄れてしまった。

 

 当時の北九州のように路線が非常に入り組んでいる地域を乗るには、「北九州ミニ周遊券」という一定区間乗り降り自由な切符は必須と言える。また運行本数の少ない路線に乗るには、現地に朝着くような夜行列車も多用することになる。当時は一杯あった夜行急行は利用価値が高い。

 

 本書に出てくる、急行「大社」(名古屋・出雲市間だが、宮津線など珍しいルートを通る)、急行「きたぐに」(名古屋・秋田間、年末に乗った瞬間に秋田弁の渦に巻き込まれた)、急行「阿曽」(大阪・熊本間、最初に秋芳洞・萩に行くのに使った)など、僕が実際に乗った懐かしい列車たちだ。

 

 作者は全線完乗後、気仙沼線の開通初日に乗りに出かけている。一日でも「乗車率100%」を下回りたくないという意地が感じられる。ただその後国鉄赤字ローカル線を廃止、JRになってそれが加速した。せっかく乗った路線が無くなってしまうのは情けない。そんな理由もあって、僕は全線完乗にのめりこめなかった(・・・といいわけ)。

 

 僕の引退も近そうだから、「毎日が日曜日」になったら現JR全線完乗のプランくらいは作りましょうかね。実際に乗るかどうかは別にして・・・。