本書(1965年発表)の作者ハリー・クレッシングのことは、ペンネームだという以上は何も分かっていない。他にもう1作あることはあるようだが、全く謎めいた作者である。
一人の背の高い男がある日、自転車に乗ってコブの町にやってきた。この街も架空のもので、イングランドのありふれた田舎町であることくらいしか分からない。この町の中心には、壮大なプロミネンス城があるが現在は誰も住んでいない。土地の名家はヒル(丘)家とヴェイル(谷)家、いずれも数人の使用人を使っている富豪だ。
両家はかつては張り合う仲だったらしいが、今では仲良し。ヒル家の長男ハロルドとヴェイル家の長女ダフネは子供のころから結婚するものだと思われていた。しかしダフネは成長するに従い超肥満体に、ヴェイル夫妻は逆にやせ細ってしまった。
両家には住み込みの料理人がいたが、ヒル家の方に空きが出て自転車に乗ってきた黒づくめの男コンラッドが雇い入れられる。狂暴な黒鷲にも似た彼は、町の八百屋、魚屋、肉屋を巡りさんざんけなして回る。しかし腕の方は確かで、町の満足できない食料品店から買った材料でも、ヒル家の人たちを篭絡してしまう。

鵞鳥のオーブン焼きにはソーセージと栗が詰めてあって、濃いソースを使うため付けあわせの野菜は薄味に仕上げたとコンラッドは言う。ハロルドたちが撃ってきた鳥は、内臓を取り出して果実を混ぜた詰め物にする。さらにディナーテーブルのセッティングについても詳しく指導する。
ヒル家を訪れてコンラッドの味を覚えたヴェイル家の人たちは、住み込み料理人を追い出してコンラッド推薦の人物に替えた。コンラッド流の食事は、ダフネを痩せさせヴェイル夫妻を太らせ始める。ヒル家でもコンラッドを快く思わない老執事は美食を楽しみながら老衰に、その他の使用人もコンラッドに不行き届きを指摘されて追い出されてしまう。一体この男は何者で、狙いは何なのか。町なかの食料品店もレストラン・パブもコンラッド好みに変わらざるを得ず、町全体が少しづつ暗雲に包まれていく。
解説では本書を「ファウスト」から「レベッカ」に至る悪魔物と位置付けています。ミステリー100選にはいつも顔を出す作品で、確かに意外な結末は待っているのですが、僕としてはどう評価するか迷います。読者の好みによるでしょう。