今日(11/17)は将棋の日。東大将棋部卒のミステリー作家斎藤栄が、生涯唯一書いた歴史小説は、やはり将棋に関するもの。ある意味作者のライフワークのような作品で、1977年から16年かけて書き継がれたのが「棋聖忍者天野宗歩シリーズ」。本書は全8巻の最初で「富士見の玉将」と副題されている。
江戸時代末期の文化13年に江戸で産まれ、5歳で大橋宗桂に入門、11歳で初段、31歳で七段に昇った。しかし将棋名家の出身ではないため、それ以上昇段できなかったが「実力十三段」との称されたのが天野宗歩。44歳で没するまで、棋譜などは多く残されているが、その生涯には謎も多い。

作者は彼が忍者だったという仮説を立てて、この大長編を世に問うた。本書には宗歩(幼名留次郎)の誕生のいきさつから、17歳で京を目指して旅立つところまでが綴られている。時の将軍は徳川家斉、幕府の綱紀は緩み、経済的に台頭する町民を武士は抑えきれない。歌舞伎や浮世絵などの町民文化が爛熟し、本来は武士の嗜みであった将棋も、庶民が縁台で戦わせるようになっていた。そして大金を賭けた勝負も(ご法度なのに)普通に行われていたとある。
甲斐の国黒駒村の神官の妻が、不思議な男の夜伽をして身籠ったのが留次郎。江戸で出産して、天野家の養子となる。3歳にして将棋を指し始め、神童と呼ばれた。入門してからの棋譜も残っていることから、作者は代表的な3つの棋譜を巻末に添えて、留次郎の成長ぶりを描く。
今でいう若手のプロ棋士に対し、ほんの子供が四枚落ちでも二枚落ちでも圧倒する。怒った棋士は「これまで」と差し掛けにして逃げてしまう。途中、心中に見せかけた殺人事件を、留次郎が関わって暴く(手伝いをする)シーンもあるが、それはご愛敬。
とにかく大局を見て、全てを記憶し、失敗したと思った手は繰り返さない。現在の藤井名人のような少年の活躍ぶり、とても面白かったです。