新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

「人は石垣、人は城」の山城遍歴

 昨日歴史作家安部竜太郎の「戦国の山城をゆく」を紹介したが、2006年発表の本書はその続編。前著は、戦国時代前期まで戦国大名の重要施設「山城」が、資金豊富で年間を通して大規模作戦が可能なうえに大量の鉄砲を持つ「ニュータイプ戦国大名」によって駆逐されたことを紹介していた。

 

 本書では最強のオールドタイプ戦国大名である武田信玄を例に、彼の生涯と山城のかかわりについて述べたもの。信玄は山間の盆地である甲府の街から、信濃を経て日本海へ勢力を伸張しようとした。海のない国から、日本海への道を拓きたかったからだとある。前著も「水運」の重要性を説いていたのだが、信玄も水産物や塩と同時に「海の水運」の利益を得たかったのだ。

 

        

 

 信玄は一代で甲斐の国を統一した稀代の猛将武田信虎の長男として、山城である要害城で産まれた。のちに「人は石垣、人は城」と、政務をとる躑躅ケ崎館(現武田神社)しか持たなかったと言われるが、実は背後に何層もの防御施設を備えた要害城を武田家は持っていた。

 

 信玄の初陣も、八ヶ岳の麓にある海ノ口城を奪取する闘い。手柄を立てるものの父信虎には徹底して虐められ、21歳の時に父親を放逐して当主となった。以後52歳で急死するまで、戦に明け暮れている。

 

 北信濃の葛尾城を拠点とした村上義清は、強敵だった。苦戦しながらも彼を追い払った後、信玄は千曲川を扼す位置に城を築かせた。海津城、後の松代城である。日本海からの水運として、千曲川は極めて重要な川だった。それゆえこの地川中島で信玄は、最強の敵上杉謙信と5度にわたり合戦する。決着はつかず、謙信と和議を結んだ信玄は、一転して南進する。織田・徳川連合軍を破って太平洋に出るものの、そこで寿命が尽きてしまった。

 

 要害城に始まり、海ノ口城・高遠城・上原城・内山城・砥石城・葛尾城・箕輪城・長沼城・飯山城・割ケ岳城・野尻城から春日山城にいたる山城巡りの旅、とても面白かったです。踏破したいけど、もう山登りは無理ですね。筆者は僕と同年代、僕も20年前だったら・・・。