新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

密室の巨匠、デビュー

 エラリー・クイーンに遅れること1年、ジョン・ディクスン・カーは本書でデビューした。後年レギュラー探偵となる、ギデオン・フェル博士やヘンリ・メリヴェール卿はまだ登場せず、パリの予審判事アンリ・バンコランが探偵役を務めている。スタイルとしてはポーのオーギュスト・デュパンから始まる、私という語り手が名探偵の脇に付くクラシックなものだ。この「私」をシャーロック・ホームズ譚にちなんで「ワトソン役」というが、本書では若いアメリカ人ジェフ・マールという人物がこれを務めている。

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 カーは後年イギリスで暮らすことになるので、イギリス作家とかアメリカ=イギリス作家と言われるが、れっきとしたアメリカ人である。若いころパリをはじめ欧州に遊学していて、本書の舞台もパリである。したがって登場人物も、フランス人・イタリア人・オーストリア人が多く、ロシア軍人あがりと疑われる人物もでてくる。面白いのはマールのほかにもうひとりアメリカ人が出てきて、いかにも田舎者のように振る舞う。
 
 カーは、アメリカの文化は未熟だと思っていたのかもしれない。同じ東海岸で同年に生まれたエラリー・クイーン(ダネイ・リーともに同年)がアメリカ文化を愛し、ハリウッドものやライツヴィルという架空の田舎町を舞台にしたシリーズを書いたのとは対称的である。さて本書であるが、スポーツマンで鳴らした青年公爵がクラブハウスのカード部屋で首を切り落とされるというシーンで始まる。公爵は殺人鬼である夫と別れた美女との結婚をしたその日に殺害されたのだ。
 
 夫人の前夫が顔を整形してパリに潜入、公爵夫妻の命を狙っている恐れがあって、バンコラン判事や刑事たちが見張っている中での犯行だった。犯行現場の2つの扉はバンコランらが見ていて、そこから逃走したものはいない。窓からも出入りした形跡はないということで、犯人は「人狼」ではないかとの憶測が流れる。
 
 密室殺人と怪奇趣味はカーの両輪だが、この2つだけで300ページを引っ張るのはなかなか難しい。カーの長編はクイーンのものより100ページくら短いのだが、それでも中だるみ感が出てくる。本書ではマール君の恋愛物語が出てくるが、こういうエピソードは興をそぐという批判もあるだろう。面白かったのは、剣術師範の登場。公爵もバンコランもマール君もフェンシングをこの老師範から学んでいて、剣術奥義に関する1節があった。晩年カーは歴史ものを多く書き、チャンバラの場面を得意にしていたが、その萌芽はここにあったのかもしれない。
 
 犯行現場は「トウキョウ通り」に面したクラブなのだが、今はこの名前の通りはない。解説によれば、イエナ橋の西側トロカデロ広場からの辺りだったようだ。古いパリの地図も思い出させてくれる1冊でした。