新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

富の基準は家畜と奴隷

 本書は以前紹介した「死をもちて赦されん」でデビューした、修道女探偵フィデルマものの短編集である。作者ピーター・トレメインは実はイングランド生まれ、アイルランドでの記者生活を経て作家デビューをしている。別名義で冒険スリラーなど書いていたが、これらの作品はあまり知られていない。修道女フィデルマものを書き始めて、ベストセラー作家の仲間入りをしたらしい。フィデルマものとして、これまで23の長編と2冊の短編集を発表している。

 

 本書は日本で編纂されたオリジナル短篇集、以前「修道女フィデルマの叡智」も紹介しているが、あと1冊「探求」も含めて3冊シリーズになっている。個々の短編は50~80ページほど。ほとんどは修道士/修道女が犠牲になったり、容疑者になったケースでフィデルマが派遣されて真相を暴くというもの。筋立ては立派な本格ミステリーで、彼女の推理や凛とした法学者としての姿勢は評価に値する。

 

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 登場人物はその土地の宗教家・王家・高級官僚と医師が中心、ときおり庶民の生活も描かれるくらいだが、これがなかなか面白い。まだ貨幣経済が成熟していないので、民間の富はその人物や家が所有している家畜と奴隷の量で計られるのだ。

 

 一方で男女同権や人権重視の法体系などは、7世紀としては異例の先進性がある。殺人罪にしても「目には目を」式の罰は課されない。なんと「乳牛45頭」を被害者の遺族に支払えという判決が出るのだ。その他に「裁判費用として乳牛4頭」とあるのには、笑ってしまった。

 

 若い修道士が殺人容疑を掛けられたケースでは、彼は修道士になるにあたり「清貧の誓い」を立てて私有財産を放棄している。ゆえに「乳牛45頭」は支払えないので、それは所属する修道院が肩代わりすることもあるという。

 

 「清貧の誓い」があるのに意外なことに修道院長などは裕福な暮らしをしていて、「名馬の死」の事件では、競走馬を所有し競馬で大儲けを図る院長まで登場する。現代と古代が入り混じったような不思議な社会の中で、王の妹でもあり法曹界の上から二番目の権威を持った美女フェデルマが、快刀乱麻の探偵振りを発揮する。

 

 ミステリーとして読むよりは、当時のアイルランドの世相を知るに適当な書だと思います。邦訳は多くないようですが、もっと探してみましょう。