新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

古文書を追いかけてⅡ

 本書は以前「日本史の内幕*1」など何冊かの歴史考を紹介したマルチタレント歴史学者磯田道史氏の「歴史の裏と闇」研究。「・・・の内幕」もそうだったかもしれないが、<読売新聞>に2017~2022年に連載された記事をまとめて、2022年に新書として出版したものだ。

 

 前著同様、ホコリにまみれた古文書を探し、読み解き、アナログ手法で日本史の裏と闇に迫ったものだ。綺麗にまとめられた表の歴史とは違う、グレーな部分と気付きの魅力があるエッセイ集となっている。特に興味を惹いたエピソードを紹介しておこう。

 

■徳川家康の城に関する想い

 天下人になって京都の宿所として二条城を作らせたが、大きすぎると本多忠勝らを叱った。本能寺の変のような脅威に備えるための城で、数日持てば救援が来るのでその程度でよい。大きすぎると、万一奪われた時に奪い返すのが大変になるとの理由。

 

        

 

■忍者の潜入は失敗することの方が多い

 関ケ原の合戦の前、石田方は多くの甲賀者を徳川側に送りこんだが、簡単に見破られ片端から捕縛・獄門の目に遭った。島原の乱でも幕府軍は原城内部の偵察に甲賀者を使った。生還率1割の「難所物見」だが、首尾よく潜入できて会話を聞けても、言葉がわからず情報は得られなかった。ただ紀州藩では、忍者を使って尾張藩の当主等を暗殺し、将軍吉宗を成し遂げ後継も確保したとある。

 

■文政京都地震の被害は公家の情報発信を促進させた

 1830年の地震では、二条城も御所も大きな被害を受けた。2ヵ所だけでも10万両近い復旧費がいる。薄給の公家にそんなカネはないので、姻戚など頼って大名らからカネを集めた。その際に京都からの情報発信を強化したのが、各地の外様大名を目覚めさせ明治維新への伏線となった。

 

■感染症はTOPも罹患する

 江戸時代の代表的な疫病が天然痘。隔離政策などするのだが、歴代徳川将軍はほとんどが感染してしまった。大正期<スペイン風邪>には原首相も罹患、摂政宮(後の昭和天皇)や秩父宮も発症してしまった、当時17歳の秩父宮には回復期の兵士の血液が投与されたという。

 

 筆者は甲賀の里で、忍者関連の古文書を探す団長も務めているとあります。もっと探して、続々編を書いてくださいね。

 

*1:古文書を追いかけて - 新城彰の本棚