2023年発表の本書は、これまで「秩父宮」「陸軍良識派の研究」などを紹介してきたノンフィクション作家保阪正康氏の、近代戦争史観。半藤一利氏が亡くなって、筆者は残された数少ない歴史探偵のひとりである。プーチンのウクライナ侵攻によって、WWⅢが近いとも言われる国際環境になり、筆者は明治以降の日本の戦争を見直し、再定義しようと考えたようだ。
戦争に勝った、負けたというのは、ある意味主観的なもの。戦場では負けたけれども文化・文明的には勝ったと言える闘いもあるとの、逆転発想もあると筆者は言う。例えば日清戦争、衰えたとはいえ大国清と新興日本が戦い、巨額の賠償金と大陸への手掛かり、さらに朝鮮半島の支配権を得た。
この成功体験が、軍部の台頭や賠償金を獲るためのビジネス戦争への道を拓くことになる。日露戦争は実質引き分け、勝ったと宣伝されたが賠償金が獲れず世論は激高した。戦争ビジネスの感覚が、市民にもいきわたっていた証拠である。
その後WWⅠでは、日本軍はほぼ犠牲を払わず太平洋にあるドイツ帝国の領土も得た。満州から中国奥地にまで戦線(戦争ビジネス)を拡大し、WWⅡで壊滅的被害を受ける。ここまでは、戦争で失われたもの(領土)は戦争で取り返すという帝国主義主観で行動していた。日露戦争以降の闘いは、勝ったように見えたが実は負けていたと筆者は言う。
WWⅡの戦後、日本は軽武装で経済成長の道を行き、冷戦時代の紛争にも一切かかわらなかった。この平和はWWⅡで負けたゆえである。戦闘では負けたが、文化・文明的には勝ったとも言える。
冷戦後の平和が、核戦力を背景にしたプーチン(≒ロシア)の暴挙によって揺らいでいる。冷戦終結で失われたもの(領土)を、プーチンは新冷戦で取り戻そうとしているのだ。危機的な国際環境にあって筆者は「政治の延長として戦争を選択(*1)しない」ことが重要だといいます。「防衛費GDP比2%、軍備を革新して・・・」と主張する政治家に翻意を促しているようです。