児島襄(こじま・のぼる)という作家がいる。僕も最初「こじま・じょう」と呼んでいたが、そう言った編集者が作者に殴り倒されたともいう。相手は190cm、120kgの巨漢である。僕は編集者でなくてよかったと思う。
この「日露戦争」は、全8巻の大作である。僕はその他にも、日中戦争(全5巻)、朝鮮戦争(全3巻)を読んでいる。印象としては、ノンフクションとはこういうものかと思ったことである。膨大な資料を基に、現地で起きたことを再構成してゆく。しかし、資料集ではないので作者の心持ちとか、考え方がにじんでくる。そのあたりが、純粋に小説ばかり読んでいた僕には新鮮だった。
陳舜臣は、十八史略を基にした物語(全6巻)を書くにあたり、小説と名を冠して虚構の人物も登場させようと「小説十八史略」と題して書き始めた。しかし、物語に虚構の人物を入れる余地がないと感じ、ほぼ原作に沿った形で書き上げたという。
さて本編だが、日露戦争開戦に至る前の日本政府、ロシア政府の動向から、ポーツマス交渉の経緯にたるまで、細かく描写されている。以前ご紹介した「真田太平記」同様、最大のクライマックスである「日本海海戦」は第7巻で終わってしまい、最終巻はまるまる講和交渉に充てられている。日本海海戦は日本海軍最大の勝利であり、戦術的には最高点を獲得し、戦略的にも相応の得点を稼いだ。
しかし、第8巻が戦略的な意味で最大のクライマックスであり、賠償金、樺太その他の戦略目標を獲得できるかどうかを争ったという意味では、最終巻にふさわしいと思う。賠償金を取れると思い込んでいて、日比谷焼き討ち事件に発展する日本国民の姿や、その基礎を作ったメディアの姿勢などは、後世への教訓となるだろう。