ハードボイルド小説と言えば、普通は男の世界。ハンフリー・ボガートのように、バーボンをあおり葉巻をくゆらす。半熟卵のようなベトベトした感傷はないので、女は添え物的に居ればいい、という次第。ハメットが「血の収穫」を著わしたのが1929年で、それからしばらくはそんな風情だった。
本書は、ロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズ第6作。健康志向で料理好きの私立探偵スペンサーは、前作「ユダの山羊」でヨーロッパ・カナダを駆け回り相棒のホークとともにテロリスト10人の「首」をとる賞金稼ぎの仕事をした。今回はホームグラウンドであるボストンに戻り、ある女性著述家のボディガードに就く。
その「マルタイ」の女性、レイチェル・ウォレスは堂々たる女丈夫で意志が強く、さまざまな脅迫を受けながらも頑固にスケジュールを変えようとしない。彼女は筋金入りの女性解放論者であり、レズビアン(性同一性障害というかLGBTというか)であることを公言している。かなり先鋭的な「ウーマンリブの闘士」である。
スペンサーがレイチェルの代理人から依頼を受けるときのやりとりが面白い。「(自爆テロのような攻撃から)守ることはできない。しかし彼女に危害を与えることを困難にはできるし、加害者の被害を増やすこともできる。だから、1日$200プラス経費だ」という。元ボクサーであり警官だったが、今は「へらず口は多いが、見掛け通りタフで正直」な探偵であるスペンサーは、特に偏見を持たずにウーマンリブの闘士の護衛を引き受ける。
何度か彼女にふりかかる危険を排除するものの、些細なことでレイチェルの怒りを買い、護衛はお役御免になってしまう。それから2カ月、レイチェルが誘拐されたと聞いてスペンサーはボストンの街を彼女を救出するために歩き回る。
アメリカのようなクルマ社会で物理的に歩いているとすると、それは転落した証拠だと別のハードボイルド小説で読んだことがある。偶然だがそれは「悪党パーカー」シリーズ(リチャード・スターク著)だった。スペンサーは「転落」したわけではないのに彼が歩き回る理由は、ボストンに降った大雪・吹雪のせいである。公共交通含めてクルマが動けなくなってしまっているのだ。
ボストンには3度ほど行ったことがある。緯度的にはかなり高いし、アメリカ東海岸はずっと南のワシントンDCでも大雪になることがある。その上ボストンには坂も多い。スペンサーは朝鮮半島に従軍していたころのことを思い出しながら、雪を踏みしめてレイチェルを探す。